弊社代表へ社員がインタビューを行いました

弊社の代表をつとめる三浦大地は、時価総額4000億円を超えたコンサルティングファームの創業メンバーとしての経験20年を経て、世界中のデジタルイノベーションを支えるデジタルサービス企業、株式会社ストラテジーテック・コンサルティングを立ち上げた企業家である。代表的なサービスとしては、世界中の企業のデジタルイノベーションを実現するプラットフォーム「ContactEARTH(コンタクトアース)」を展開する。

三浦 大地 プロフィール

株式会社ストラテジーテック・コンサルティング / 代表取締役社長

青森県八戸市生まれ弘前市育ち 1978年3月14日生まれ高校卒業後上京し、現在時価総額4000億となったコンサルティングファームの立ち上げより参加。会社が1部上場後一度引退するが、目まぐるしいテクノロジーの発展によるイノベーションの加速を見ているだけでは耐えられなくなり、デジタル社会の発展の一躍を担うべく株式会社ストラテジーテック・コンサルティングを創業する。

ContactEARTH ー世界中の叡智(えいち)をあなたの手にー

商いの感覚と経験をつかみ始めた10代

ーーまずは、三浦さんのキャリアのスタートについて教えてください。

三浦 中学生の頃からはじめたアルバイトが一番最初だったと思います。もっと言えば、小学三年生の時に釣ったザリガニを観光客に300円で販売するようなこともしていたことを記憶しています。家族を思うとあまり言うのはなんですが、お金のない家だったんです。ほしい物を欲しいと言っても買ってもらえるわけではない、いつしかお金や欲しいものは自分自身で手に入れるものだという事を自然に思うようになったんだと思います。それからは中学時代の牛乳配達、高校は夜スペイン料理屋でバーテンのような働き方をしていました。中学からを含めると6年間アルバイトをし続けたことになります。

 

ーー三浦さんのアルバイト経歴意外でした(笑)ちなみに、アルバイトを通してどんな経験をされたのでしょうか。

三浦 その時に牛乳を取ってくれている家の方からの集金や、スペインバーでの会計を担当させてもらうなど、お金に直接触れる機会が多くなりました。サラリーマンの家に生まれあまり機会のなかった「お金を稼ぐということ」を肌身を持ってこの時に実感したんだと思います。そして、お客さんに喜んでもらうことや自分の至らなさでお客さんに怒られることなんかも経験し、お金を頂くということはとても責任のあることなんだと実感しました。中高はアルバイトばかりしていたので、結構自分はお金がある方だったと思います。

アルバイトで稼いだお金で、趣味のワープロやパソコン、ウォークマンやアンプ・スピーカーなど、結構高額なものをバンバン買っていたように思います(笑)これは大人になってから知ったことなんですが、父親の年収が200万だったらしく、どうりでお金がなかったわけだ!と思いましたが、僕は親に頼ることなく、自分で稼ぐんだという気持ちを持てたのは非常に大きな経験だったと思っています。

周囲とは違う生き方を決めたITへの強烈な期待

ーー本格的にITへの興味を持ち始めたのはいつからでしょうか

三浦 中学時代から人嫌いで引きこもりだったので、ひとりでできる事ばかりやっていました。例えばラジオを作ったりとか、パソコンでプログラミングしてゲームを作ったりとか。青森のド田舎にはラジオを作るための部品がそろう店はなかったので、部品を東京の秋葉原から取り寄せたり、ラジオライフ、トランジスタ技術、マイコンベーシックマガジンなど、ザ・オタクが読むような本ばかり読んでいました。そんな感じだったので、自然とソフトバンクの孫さんやマイクロソフトのビルゲイツの記事を見ることが多くなり、これからはITの時代が来る!と中学生ながらに思っていたんです。

 

ーーその後の学生時代はどのように過ごされていたのでしょうか。

三浦 高校は頭も悪く勉強もまともにしていなかったので、本当は行きたいわけでもなかった工業高校土木課に入りました。高校に入ってからももちろん学校の勉強はせず、パソコンばっかりやっていました。そんな感じだったので結果的に成績は42人中41番、20歳超えてから偏差値という言葉を初めて知ることになりました、たぶん偏差値は30を下回っていたんじゃないでしょうか(笑)

そして高校3年の頃に進路指導相談みたいなものがあって、その時に僕はITの世界に行きたい!と先生に言ったんですが、お前はあほか!?と言われたように記憶しています。土木課だったので土木業界に就職するのが当たり前だったんだと思います。

 

ーーそこからITの世界に入られるわけですが、どんな卒業後を過ごされたんですか

三浦 僕はどうしてもITの世界に入りたかったので、東京にある専門学校に行くことにしました。大学に行けるほどの学力がなかったため新宿大久保にある日本電子専門学校を選択したんです。高校卒業後すぐに専門学校へ行くため上京したんですが、もちろん学費を払うお金がない。それを何とかするために、杉並区にある新聞配達所に住み込みで働きながら学校に行くことにしました。朝2時に起きて4時間朝刊を配り、その後学校へ行き勉強をする、そしてまた夕方4時から3時間夕刊を配る地獄の生活のスタートです(笑) 

 

ーー忘れられない東京でのスタートですね。

三浦 1年ほどそんな生活を続けていたら、もう無理ってなりました。マジで地獄なんです。やってみたことがある人はわかるんじゃないかと思うんですが。。。

専門学校は2年制だったので、その後は池袋の居酒屋で1年間バイトをすることにしました。結局学費を賄うことが出来ず、親に借金をしてもらう羽目になりました。

そんな感じで学校を卒業したんですが、最初に入った会社は専門学校の先生からの紹介してもらったシステム受託会社でした。10人ぐらいしかいない会社だったともいます。

この会社の先輩からの誘いにより人生が変わり始めるんです。

人生を動かした出会い

ーーどう変わったのでしょうか。

三浦 その会社には2個上ぐらいの先輩がいました。その先輩に誘われ、ビットバレーという存在があることを知りました。ビットバレーとはアメリカのシリコンバレーの日本版のコンセプトでできたものらしく、20代で日本のIT業界を盛り上げていこうとしていたサークルのようなものです。そこにいたのがソフトバンクの孫さん、楽天の三木谷さん、ホリエモンさんなど、今となっては超有名人になった人ばかりでした。

その頃から孫さんは別格で、ビットバレーはよくイベントをやっていたんですが、たしか渋谷のベルファーレでイベントをやっていた時、孫さんはこのイベントの為にプライベートジェットを3000万でチャーターして海外から飛んできたんだ!と言っていました。

すげー!ってみんなで叫んでいたのを覚えています。

 

ーーIT業界の可能性を感じるシーンですね。

三浦 その頃に出会ったのがその後立ち上げから携わらせてもらうことになった前職のコンサルティングファームの創業者でした。それからもう20年以上親以上にお世話になることになります。とにかくお金を稼ぎたい、そのためには経営が出来るようになりたい!その当時、僕はそのようなことを伝え弟子にしてもらったように記憶しています。

師匠である創業者には本当にいろんなことを教えてもらいました。その教えがなければ今の自分は絶対にありません。

経営は心理学

ーーそこでどんな経験をされたのですか。

三浦 仕事もSE、セールス、採用、経理、労務、組織マネジメントなど、多くの事を経験させてもらいました。その当時まだ主流ではなかったオフショアの体制を作りたい!という自分の思いを、何の躊躇もなくOKしてくれたことも覚えています。単身中国に行き、オフショアの体制を作れた時の達成感は相当なものでした。特に学んだのが経営に関することです。

いろんなことを学びましたが、特に今も大事にしていることは「経営は心理学である」ということです。

とにかく経営は人間を知ること、そしてとにかくスピードが命であることをあらゆる実体験を通して学びました。令和の今は、ペルソナやカスタマージャーニーなど、横文字のかっこいい言葉になっている概念が僕の言う心理学と同等のものなんだと思います。

 

ーーそうした経験から起業のアイディアを生み出したのですね。

三浦 ですから、イノベーションをより多く生み出していくためのお手伝いとして僕がやりたいことは、世界中のデジタル知見者の活躍の場を作ることであり、DXを支えるプラットフォーマーになることだ、ということになってくるわけです。

僕の考える資産とは人間そのものであり、人間の意識こそがイノベーションの源泉であると考えています。そして人間の意識に、これまた人間の意識が生み出したテクノロジーを掛け合わせることでイノベーションを生み出すことができると思っています。過去の偉人が残したノウハウやナレッジも人間の意識の集合体であり、結局人間が生み出してきたもの、そしてこれから生み出して行くものは、人間の意識そのものでしかないと思えるのです。ですから、イノベーションをより多く生み出していくためのお手伝いとして僕がやりたいことは、世界中の人材の最適配置であり、最適な人材活用ということになってくるわけです。

 

ーー最後に三浦さんにとっての「イノベーションとは」を教えてください!!

三浦 イノベーションとは、経営戦略×テクノロジーで産み出されるもので、僕らのアセットは、経営戦略に精通した戦略コンサルタントと最新テクノロジーに精通したテクノロジースペシャリストのエキスパート集団であるということ。そしてより多くのイノベーションを創出するため、僕らの持つナレッジを集約しプラットホーム化している。いつでも、だれでも、どこでも、コスパよくスピーディーにイノベーションを創出できる、そんな世界を作って行きたいと僕は思っています。

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